特集記事【瓜】

  • 子孫繁栄、立身出世

    瓜は種子が多く、蔓が伸びて辺り一面に広がること
    また、輪切りにした姿が卵の入った鳥の巣の様子に似ていることから、子孫繁栄の縁起が担がれました。

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    平安時代には有職文様(ゆうそくもんよう)として公家文化のなかで伝統的に用いられました。

     

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特集記事【万年青文】

  • 不老長寿、子孫繁栄

    おもと(万年青)は、年中青いことから、不老長寿の縁起のよい植物といわれています。

    開店祝いや、新築祝い、引越し、結婚のお祝いなどに喜ばれます。

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    また赤い実付きのものは子孫繁栄の象徴として珍重されています。

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特集記事【鉄仙文】

  • 良縁祈願、無病息災、延命長寿

    鉄仙のように強いツルをもつことから、このように呼ばれ、クレマチスの洋名でも知られます。

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    強靭なツルの様子から、結びつきを強めるとされ、恋愛成就や夫婦円満の縁起が担がれるようになりました。

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matsumon_s特集記事【松文】

  • 器に描かれた文様〜植物文様

    植物文様は、移り変わる四季折々の草花を愛でる、日本人の感性を、文様という形で生活に取り入れ、育んできた文様です。器に描かれた美しい植物には、多種多様の意味が込められています。文様に込められた意味を知ると、人々の幸せを願う気持ちは今も昔も変わらない事が伝わってきます。

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    松は風雪にも耐え、厳寒にも常緑をたもつことから

    梅、竹とともに「歳寒三友」と呼ばれます。

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    「根引きの松」の文様には、

    根が着きますようにということと、

    成長し続けるという意味が込められています。

    松文には若松、老松、松葉などがあります。

特集記事
肥前のやきもの3

  • ●代表的な肥前のやきもの(唐津焼、三川内焼、波佐見焼)

    《唐津やき》

    肥前地方で焼かれた陶器は唐津焼とよばれます。唐津焼の特徴は高麗、李朝から伝わったとされる伝統的な技法が今に根付いているところです。唐津焼の創始は文禄・慶長の役よりはやや早く、1580年代に開始されたとみられています。
    江戸時代に入って窯場が林立したために、燃料の薪の濫伐による山野の荒廃が深刻な問題となりました。それ故に鍋島藩は藩内の窯場の整理、統合を断行、それによって窯場は有田に集約されたため、唐津も甚大な影響を被り、多くの窯元が取り壊されました。しかし、唐津の茶器は全国でも評判が高かったため、茶陶を焼くための御用窯として存続しました。その間の焼き物は幕府にも多数献上品が作られたため、献上唐津と呼ばれています。

    《三川内焼》

    三川内焼は平戸藩(松浦藩)の御用窯で、長崎県の三川内にあります。薄手の白磁の上に、濃い呉須で描かれた蝶と戯れる唐子の絵や、透かし焼きが有名です。
    唐子の絵柄は江戸時代のある時期から平戸藩の専売特許となり、伊万里の地では唐子の絵は禁止されていました。

    《波佐見やき》

    大村藩の藩窯であり、長崎県波佐見町にあります。今日では周辺の窯業産地への陶土や生地、素焼き製品の供給地としても重要な地です。肥前の陶磁器生産地としては、機械化による大量生産の方法が最も発達している地域でもあります。

    参考文献:
    著者/大矢野栄次「古伊万里と社会」同文舘出版株式会社、1994年
    著者/文・大橋康二 写真・松尾宏也「日本のやきもの◆窯別ガイド◆有田 伊万里」淡交社、2002年

    next●藩窯と民窯の歴史

特集記事 肥前のやきもの2

  • ●代表的な肥前のやきもの(有田焼、伊万里焼)

     

    ●有田焼
    有田焼(ありたやき)は、佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器です。その積み出しが伊万里港からなされていたことにより、「伊万里(いまり)」とも呼ばれます。作品は製造時期、様式などにより、初期伊万里、古九谷様式(こくたにようしき)、柿右衛門様式(かきえもんようしき)、金襴手(きんらんで)などに大別されます。また、これらとは別系統の献上用の極上品のみを焼いた作品があり、藩御用達の藩窯で焼いた鍋島藩御用のものを「鍋島様式」、皇室に納められたものを「禁裏様式(きんりようしき)」と呼んでいます。江戸時代後期に日本国内各地で磁器生産が始まるまで、有田は日本国内で唯一、長期にわたって磁器の生産を続けていました。
    KA002A※古伊万里様式例

     

     

    ●伊万里焼
    近世初期以来、有田、三川内(長崎県)、波佐見(長崎県)などで焼かれた肥前の磁器は、江戸時代には積み出し港の名を取って「伊万里」と呼ばれていました。また「IMARI:伊万里」はオランダ東インド会社「VOCの印」とともに世界的に有名な焼物の総称でした。英語での呼称も “Imari” が一般的です。
    明治以降、輸送手段が船から鉄道等の陸上交通へ移るにつれ、有田、伊万里、三川内(長崎県)、波佐見(長崎県)などで焼かれた肥前の磁器は、有田の商社から送り出すようになったので、積み出し地の名称をとって、有田焼と呼ばれるようになりました。
    現在では、有田地区の製品を「有田焼」、伊万里地区の製品を「伊万里焼」と産地の呼称で区別しています。
    H07023A※伊万里焼 例

     

     

    参考文献:
    著者/大矢野栄次「古伊万里と社会」同文舘出版株式会社、1994年
    著者/文・大橋康二 写真・松尾宏也「日本のやきもの◆窯別ガイド◆有田 伊万里」淡交社、2002年

特集記事 陶磁器の種類

  • 「磁器と陶器のちがい」

    「Q, 磁器と陶器の違いってなに?」
    私たちの日常の食卓に並ぶ食器のなかで、「焼物」と呼ばれる「磁器」と「陶器」、一般に同じ「焼物」と呼んでいますが、見た目及び、触った感じはかなり違います。ほっこりした暖かみを感じさせる「陶器」と白く透明感のある「磁器」、この二つは一体何が違うのでしょう。

    「A , 簡単にいうと材料のちがい」
    陶器は「土もの」と呼ばれるように、簡単にいうと「土」で出来ています。一方、「磁器」は石の粉末を練ったもので出来ています。吸収性のない純白透明色をしており、弾くと金属に似た音がします。
    また、陶器は1000度〜1300度で焼かれるのに対し、磁器は1200度〜1300度で焼かれるなど、焼成温度の違いもあげられます。磁器は陶器よりも硬度が強いのが特徴です。「磁器」の産地は日本各地にありますが、その代表的なものとして「有田焼」、「伊万里焼」があげられるでしょう。

    《土器、陶器、炻器(せっき)、磁器》
    【土器】 有色粘土を800度で焼いたものです。水を吸いやすく、たたくとにぶい音がします。
    (例:縄文土器、弥生土器)

    【陶器】 有色粘土を1000度から1300度位の温度で焼いたものです。 たたくと濁った音がします。
    (例:唐津焼:佐賀県)

    【炻器(せっき)】陶器と磁器の中間的な性質を持つ焼き物で、1100~1250℃で焼成します。有色で水を通しにくく、硬い音がします。
    (例 備前焼:岡山県)

    【磁器】 白色粘土と長石、珪石を混ぜて粘土状にして、1200度から1300度の高温で焼いた純白の焼き物です。叩くと澄んだ音がします。
    (例 伊万里焼:佐賀県)

    参考文献:
    著者/大矢野栄次「古伊万里と社会」同文舘出版株式会社、1994年
    著者/文・大橋康二 写真・松尾宏也「日本のやきもの◆窯別ガイド◆有田 伊万里」淡交社、2002年

特集 古伊万里様式(金襴手様式)

  • 【古伊万里様式(金襴手様式)】

    「古伊万里」とは、江戸時代の有田焼をはじめとする肥前磁器の総称で、積み出し港であった伊万里の地名からついた名称ですが、「古伊万里様式(こいまりようしき)」という場合、「金襴手(きんらんで)」とよばれる有田独自の色絵の様式を意味しています。 元禄時代(1688年〜1704年)古伊万里様式の全盛期に、染付素地に上絵の金、赤、緑、黄色などの色使いで繊細にして華やかに装飾した装飾技法が登場します。これを金襴手様式と呼びます。ヨーロッパへの輸出品に目立ち、柿右衛門様式(かきえもんようしき)以外の有田の色絵の典型として、その様式は現代にも引き継がれています。 おちゃわんどっとこむ/久保田陶器店では、有田を代表する3つの窯元の「古伊万里様式」の商品を取り扱っております。絢爛豪華な現代の古伊万里様式を是非、食卓でお楽しみ下さい。

     

    【瀬兵(せひょう)】

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    → 古伊万里様式の商品をもっと見る

    【幸楽(こうらく)】

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    【有田製窯(ありたせいよう)】

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特集 真右ヱ門窯(しんえもんがま)和食器、洋食器、花瓶/美術品、陶板など

  • 「ぐい呑は、作り手にとっても、とても思い入れをもって作るものだから、その作家の特徴が色濃く出てるものです」と2代目真右ェ門の馬場九州男さんは語ります。
    “作家の器を何かひとつ欲しいのだけれど”と相談されたときは、
    「まず『ぐい呑』からが良いんじゃないか」と勧められるそうです。
    その真右ェ門窯(馬場九州男さん)の「ぐい呑み」のご紹介です。

     

    【真右ヱ門窯について】
    昭和四七年 初代真右ヱ門(馬場真一郎氏)が当時としてはまだ数少なかった焼き物の大物造りに思いを馳せ、「真右ヱ門窯」を興します。
    初期には、「染め付け」の大物(二尺~三尺高)を造っていましたが、次第に窯変物(ようへんもの)へと変わっていきます。
    特に釉薬、「辰砂(しんしゃ)」との出会いは後の真右ェ門窯に大きな影響をもたらすことになりました。
    最近では「造りの冴え、釉の妙」と呼ばれる技の数々を器に施し、特にルビー色の「辰砂」や「結晶釉(けっしょうゆう)」などの窯変物(注:窯の中で独特の変化を起こす釉薬の彩を楽しむもの)を中心に、釉薬(ゆうやく)を巧みに操る「釉彩(ゆうさい)」の技法を得意とする窯元になっています。
    平成19年、    馬場九州男氏が「二代真右ェ門」を襲名し現在に至ります。

    【釉薬について】
    陶磁器の表面をおおっているガラス質の部分を釉薬(ゆうやく)といいます。
    真右ェ門窯の技の最大の特徴は、窯の中で熱によって化学変化を遂げる釉薬(ゆうやく)の、多種多様な色彩の使い方、その美しい窯変の技でしょう。

     

    ●辰砂

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    釉中(ゆうちゅう)に含まれる銅分が、窯の中で強い炎の中で、天然鉱物の硫化水銀と還元し発する赤色を「辰砂」といいます。
    明朝の時代には、「宝石のような美しさ」とも言われ高く評価されていました。
    辰砂には淡い辰砂から濃い辰砂まで様々ありますが、真右エ門窯が目指している辰砂の仕上がり色は、濃厚なルビー色です。
    厳選された磁器のみを素材に使用し、1300℃の窯の中で、長い時間をかけて焼きあげられる「神秘的な赤の世界」を作り上げる技が真右ヱ門の使う「辰砂」です。
    辰砂は、釉薬の調合や火の強弱、窯の状態、などのさまざまな条件により微妙に色合いが変化する大変難しい釉(=うわぐすり)であり、それゆえこの真右ヱ門の「深いルビー色」こそ、辰砂のもつ彩の可能性を知らしめてくれるものであり、また、真右ヱ門の技の真骨頂を見せてつけくれる釉薬ともいえるのです。真右ヱ門の器のメインカラー、気高き「深いルビー色」をご堪能ください。

     

    ●均窯

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    国北宋時代の名窯のひとつ「均窯(きんよう)」で多く焼かれたことからついた呼名で、その出色は緑から赤まで多種多様です。
    代表的なものに「月白均窯」「紅紫均窯」「呂均窯」などが有ります。
    均窯の器は、古来中国では「貴人の器」として重宝されてきました。

     

    ●油滴天目

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    漆黒の釉中に、まるで油の滴が浮いているかのように銀白色や金茶色の結晶が現れたものを「油滴天目」といいます。
    古来茶人のあいだで「燿変(ようへん)」につぐ銘品として珍重されてきました。
    油滴天目は窯の中で割れ易いことから土物に釉をほどこした作品が多いのですが、真右ヱ門窯はあえて磁器で制作している技が見ものです。
    油滴天目の気品の高い美しさは専門家でなくても、知られるところで、
    時代劇などに「天目台」という台の上に天目茶盌を乗せて差し出されている場面をよくみかけることからも、おもてなし使いの器であると認識されていたようです。
    油滴天目茶盌は、南宋の陶工が皇帝や士大夫階級といわれる知識人の求めによって作り残したものと伝えられます。
    神秘的な美しさと魅力をはなつ油滴天目は、単に目を楽しませるだけではなく、
    心を研ぎ澄ました時、宇宙深奥の景色を読みとることができる色、として重宝されてきました。
    「すべてをつつみこみ昇華する黒」、それこそが、宋の時代にこめられた深い精神性だったのです。

     

    ●藍染水滴

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    水に浸すと輝きをます結晶の連なりが美しい釉(=うわぐすり)であり、この釉を使った器は、「様々な景色を連想させてくれる」作品群となっています。

     

    ●瑠璃水滴

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    深淵で奥深い蒼の色。
    大自然の神秘、窯変によって生み出されるブルーは「心を清め美しい品格を磨いてくれる成熟した海の色」と言われています。

     

    ●桜花紋

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    この釉を使った器は、「青紫の空に光がしたたる中、麗らかに咲き誇る桜の花びら」を連想させる作品群であり限りなく情感を高めてくれる傑作たちです。

     

    ●金華紋

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    山吹色に発色する結晶釉。
    「時には小さな玉のように、時には大きな花びらのように」美しく結晶を生成する釉です。

     

    ●銀河

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    二代真右ヱ門は油滴天目の再現だけではなく、まったく違うアプローチから独自の「天目」を追求してきました。
    それが、「銀河」です。
    そもそも天目釉とは鉄釉(てつゆう)を使い、これが生地の違い、焼成の違いによって半ば偶然に生まれるものですが、二代真右エ門は確かな科学的な視点と技で「夜空の満点の星」を確実に産み出すことに成功しています。

     

    ●彩雲

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    真右ヱ門が「空を赤く染め上げた彩雲」をイメージして制作した釉です。

     

    ●鶯玉

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    真右ヱ門が初代から受け継がれている釉であり、「様々な、豊かな景色変化を楽しめる玉」を連想させる釉です。
    これを用いた器は、穏やかな色彩が心を癒してくれる作品群となっています。

     

    【有田焼とは】
    有田焼(ありたやき)は、佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器のことです。その荷積み出しが伊万里港からなされていたことにより、「伊万里(いまり)焼」とも呼ばれていました。現在は製品を産地の呼称で呼ぶ場合が多くなっているため、当サイトでは現在の有田地方で作られたやきものを「有田焼」と呼ぶことにしました。作品は製造時期、様式などにより、「初期伊万里」、「古九谷様式」、「柿右衛門様式」、「金襴手(きんらんで)」などに大別されます。江戸時代後期に各地で磁器生産が始まるまで、有田は日本国内で唯一、長期にわたって磁器の生産を続けていた生産地なのです。

特集 久保田陶器店限定オリジナル商品
「色鍋島 カラスノエンドウ」登場!

  •  魯山窯×久保田陶器店コラボレーション新作第1弾「カラスノエンドウ」登場です。
    伊万里鍋島を代表する窯元のひとつ「魯山窯」さんに全面的にご協力を頂き、「鍋島焼×現代美術作家」のコラボレーションが実現しました。

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    カラスノエンドウ 四方上がり皿

    カラスノエンドウ オードブル皿

     

    デザインを手がけたのは、横浜で精力的に作家活動を続けている飯田千晶さんです。飯田さんは普段、植物をモチーフとした作品を多く手がけており、今回の企画でも、身近な植物をモチーフとしたデザイン画を複数制作して下さいました。窯元さんとの入念なデザイン画と試作品のやり取りは数ヶ月に及びました。飯田さんの作品を焼き物の絵付けとして実現するにあたり、絵付けの伝統工芸士の方からもアドバイスを頂きました。このようにたくさんの方々の手が加わり、ついに「カラスノエンドウ」シリーズが完成致しました。

     

    カラスノエンドウ カラスノエンドウ色付け

    ※デザイン案1 → デザイン案2

    「おちゃわんどっとこむ」と「久保田陶器店」でしか手にはいらない限定商品です。熟練した職人さんの手描きによる、色鍋島の繊細な線と彩色を是非、食卓でお楽しみ下さい。

    [ news1] 東京ドーム「テーブルウェア・フェスティバル2014〜暮らしを彩る器展〜」にて販売!1つ1つ手づくりで制作しておりますので、在庫切れの場合は、制作までお時間を1ヶ月ほど頂いております。予めご容赦下さいませ。

    [news 2]今回のコラボレーションシリーズ制作の過程から生まれた、作家 飯田千晶×鍋島「鍋島絵画シリーズ」も展示販売致しております。作品は1つ1つ手描きのため、在庫切れの場合は1ヶ月の製作期間を頂いております。作品のお渡しは「テーブルウェア・フェスティバル2014〜暮らしを彩る器展〜」会期後となります。
    http://www.tokyo-dome.co.jp/tableware/22th/event/#interior

    カラスノエンドウ ポーチュラカ シロツメクサ オオイヌノフグリ ヤエムグラ
    パネルに水彩 作品サイズ18×18×3(縦、横、奥行き) 販売価格 8,640円(税込)

    魯山窯元紹介→窯元紹介ページへ

     

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    作家プロフィール 飯田千晶
    東京生まれ。
    2010年多摩美術大学 美術学部絵画学科油画専攻 卒業
    卒業後インテリア関係の仕事に就く
    グループ展の他、マンションや病院などの施設に作品買い上げ、展示されている

    受賞
    2007  via art2007   観客賞
    2008  via art2008   入選

    グループ展
    2008  「四角い無花果」展     Gallery Conceal(東京)
    2009  「世界で一番小さな国 」展 Azabujuban gallery(東京)
    2010   Emerging Artists 2010    Bambinart Gallery(東京)
       超カワイイ主義宣言       志賀高原ロマン美術館(長野)
       カワイイアートタウン   伊勢丹立川(東京)
       via art2010@上智大学   上智大学(東京)

     

    カラスノエンドウ 四方上がり皿

    カラスノエンドウ オードブル皿

特集 魯山窯(ろざんがま)

  • 「おちゃわんどっとこむ」取り扱い窯元のご紹介●伊万里、鍋島の窯元(鍋島様式)

    魯山窯(ろざんがま) 和食器、洋食器、花瓶/美術品、陶板など

     

    素焼き魯山窯は、鍋島藩窯の流れを引き継ぎ、現在に至っている歴史ある伊万里の窯元の一つです。色鍋島の伝統技法を守り続けるため、絵付けの顔料の吟味から、手描きによる入念な絵付け、また、藩窯時代から伝わる釉薬(うわぐすり)を使用するなど、一貫して、色鍋島の窯元にふさわしい製品を生み出してきました。また、現在では色鍋島の伝統を守りつつ、絵付けに使用する絵の具を、すべて毒性のない無鉛絵具移行するなど、食の安全や、時代の要請に率先して応える製品を世に送り出しています。

     

    ???【魯山窯の歴史】
    1780年(文化年間)頃 
    魯山窯の祖は、鍋島藩窯の御用陶工となり陶芸の技を磨き後世に託した。
    昭和44年6月  
    魯山製陶所として法人化 
    先代当主小笠原利夫は、更に技術の安定と地域づくりを本格化し、伊万里陶芸界の雄となり理事長に推(お)される。
    昭和61年10月 
    小笠原利夫没
    次男小笠原和生がこれを受け継ぐ。絵付けの顔料を吟味し、手書きによる入念な絵付けを意識し、色鍋島の窯元にふさわしい陶磁器造りを進める。
    平成9年4月
    有限会社魯山窯へ商号変更、現在に至る。

     

    上絵付けJPG 【鍋島様式とは】
    現代の窯業の産地は、江戸時代においては藩の御用窯かあるいは藩指導のもとに運営されてきた窯でした。
    藩窯の目的の一つは、献上品生産のためでした。伊万里焼のなかには、初期伊万里、古九谷様式、柿右衛門様式、金襴手(きんらんで)とは別系統の、献上用の極上品のみを焼いた作品があります。藩窯で鍋島藩のものを「鍋島様式」、皇室に納められたものを「禁裏様式」と呼びます。伊万里地方には、廃藩置県で藩窯が廃止された後も、民窯として独立し、色鍋島の伝統を守っている窯元が今も数多くあります。

     

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    ※完成品